野鳥撮影と餌付け
 野鳥撮影を始める人が増えている。デジスコの普及やデジタル一眼レフのブーム、折からのエコロジーブームも追い風になっているのかもしれない。
かく言う自分も5年前にデジタル一眼レフを手に入れたことで、思わぬ勢いでこの趣味にはまり込んでしまったクチ。このこと自体、悪いことではなかろうし、野山を無惨に切り開いた人工の原っぱで球打ち・球転がしに興じるよりはよほど環境に優しい趣味だと思う。

 だが、「写真を撮ること」が先走ってこの趣味に染まるとマナーや生息環境への配慮がお座なりになりがちなのも事実。自慢できる写真が撮りたいあまりのなりふり構わぬ所行に走りかねないのだ。野鳥にとっては悪影響でしかない餌付け、他者への迷惑を顧みない場所取りなど、野鳥と自分を取り巻く環境を巨視的に見れば恥ずかしくなるような行為に及んではいないだろうか。

 と、ここまで読んだところで餌付けの何が悪いのかと疑問に思う向きもおられるだろう。池の鯉や広場の鳩に餌を与える延長線上なのか、大多数の人は動物に餌を施すことを善行と考えているようだ。そういった行為を美談仕立てに報じるマスコミも含め、ここはよく考えて欲しいところ。

 なによりも野生の動物は本来自ら食料を得る能力があるわけで、餌付けされたことによってこの能力を失うことになりかねない。また、不用意な人慣れや地上に降り立つ際の警戒心が希薄になることも猫などの捕食動物に捕まる可能性を増大させることに繋がる。そして、餌付けによる自然界ではあり得ないほどの個体集中は、伝染性の疾病蔓延の原因にさえなりかねない。折からの高病原性鳥インフルエンザやSARSの懸念をふまえれば、この餌付けという「善行」にマイナス要素しか見いだせないことに気付いていただけるのではないだろうか。

 そういったマイナス面を指摘するまでもなく、餌付けによって撮影した写真を発表するなら餌付け行為を明記すべきではないだろうか。選者や鑑賞者はその作品を見て「自然の一コマ」と錯覚するわけで、そこに餌付けの事実を隠すことはすなわちドキュメンタリーでは恥ずべき「ヤラセ」になると考えられる。

 以上、エコロジーな視点でも、カメラマンとしてのスタンスも、餌付けに関して否定的となる理由を挙げてみた。野鳥撮影の第一歩は対象の生態を知り観察することに他ならない。何よりもまず、あるべき姿で野に暮らす鳥のファンでいたいものだ。

2007-06-22
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